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町の概要

更新日:2021年1月18日更新 印刷ページ表示

町の概要

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自然的条件・地理的条件

 世羅町は広島県の中東部に位置し、東に府中市、南に尾道市、三原市、西に東広島市、北に三次市と周囲を5市に囲まれており、近隣の中都市である尾道市・三原市・三次市に20~30km圏内にあり、また広島空港にも約36kmと近い位置にあります。
 面積は、278.14平方キロメートルで広島県面積の3.3%を占め、県内23市町中14番目の自治体です。(平成18年3月1日現在)
 地形は、通称「世羅台地」と呼ばれる標高350m~450mの台地を形成し、瀬戸内海に流れる芦田川水系と、日本海に流れる江の川水系の分水嶺となっており、気候は、年平均気温13度、年間降水量1,300mmで、広島市より平均気温で3~4度低く、年間降水量で200mm程度少なくなっています。

歴史的条件

 世羅町は、縄文時代の石器や土器片、弥生時代の集落跡などが多数確認されており、古くから人々が住み生活を営んでいたことがうかがえます。古墳時代には住居跡等の遺跡のほか、康徳寺古墳に代表される数多くの古墳も確認されており、この地域に小集落が形成されていたことがわかります。
 大化の改新の際に、この地域の「郷」などを集めて世羅郡が設けられたとありますが、その後の平安時代には庄園が起こり、備後の中央に位置する「大田庄」として統治され、源平のころ、平清盛の子重衡となり、絶大な権力をもつ後白河法皇に寄進して栄えました。平家滅亡後、法皇は紀州高野山に寄進したため、この地域は、今も残る「今高野山龍華寺」を中心に繁栄しました。
 戦国時代を経て、安土桃山時代には43の村が設けられ、近代統一国家社会へと歩み始めました。明治22年の市町村制施行に伴い12の村となり、明治31年には甲山町が町制を施行されました。その後、昭和の大合併の際、世羅郡に甲山町・世羅町・世羅西町の三町が誕生し、さらに平成16年10月1日に三町が合併し新しく「世羅町」となりました。

社会的条件

 本町は、役場本庁舎がある市街地には国道184号・432号・主要地方道三原東城線が、せらにし支所がある小国地域では主要地方道世羅甲田線・吉舎豊栄線・三次大和線がそれぞれ放射線状に伸び、さらに町の中央部を横断する形で「世羅高原ふれあいロード(通称)」が国道・県道と交差しています。
 特にフルーツロードの開通(平成13年3月)や中国横断自動車道尾道松江線や広島中央フライトロードの整備は、本町の将来にとって社会的・経済的発展の契機となり、新町の発展に向けて大きな可能性を示唆するものであります。
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