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今高野山縁起
今高野山龍華寺に伝わる古文書の中に、縁起(寺院等のはじまりを書いたもの)が書かれたもので一番古いものは、宝永6年(1709)に書かれた義剛記である。この縁起には、弘仁13年(822)に弘法大師空海により開かれたと書かれている。
このほかにも、安永年間(1772~1780)に書かれた「開扉縁起」、文化6年「今高野山由来」、文政3年(1820)「縁起ノ意」、明治21年(1888)「今高野山記 常操述」、明治22年(1889)「備後世羅郡今高野山由来」、年代不詳「当山略縁起」などのいずれの文書にも弘仁13年(822)に弘法大師空海により開かれたことが書かれている。
今高野山龍華寺は元禄13年(1700)に火災により焼失したことから、これ以前の文書類については焼失したものと考えられる。
元禄15年(1702)の弘法大師堂御建立と書かれた文書には、普請にあたった者として「廣島大工57人、木挽3人、甲山大工4人」の記載が見られるほか、広島の楠木小屋で木づくりを行ったことなどが記されている。