ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
現在地 トップページ > 世羅町文化財 > 「平家滅亡後の大田庄」の用語説明

本文

「平家滅亡後の大田庄」の用語説明

更新日:2021年9月24日更新 印刷ページ表示

壇ノ浦の戦い・・平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いである。

 

一の谷の戦い・・・平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦い。治承・寿永の乱(源平合戦)における戦いの一つ。

 

根本大塔・・・和歌山県伊都(いと)郡高野(こうや)町高野山の高野山真言宗総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)の壇上にある仏塔。

 

永代供養・・・子々孫々の代まで先祖を祀り供養する宗教行為。