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丹下氏関係遺品

更新日:2021年9月24日更新 印刷ページ表示

世羅町指定重要文化財(美術工芸品/工芸品)

丹下氏関係遺品

昭和40年(1965)10月30日指定

 

丹下氏は、室町時代から江戸時代にかけて、備後地域の梵鐘づくりの職業集団として知られている。もともとは河内国(大阪府)の鋳物師天命家の出と伝えられ、近江国の丹下村に住み、草部氏と名乗っていたが、鎌倉時代末頃から宇津戸に移住し、丹下氏を名乗るようになったと言われている。鋳物師の頭領としての総大工職を守護から安堵され、歴代、特に備後国内の築鐘に深くかかわってきたとされている。鋳物業のかたわら、海裏庄の領家方の役人として宇津戸の下仮屋に住し活躍したと推定され、同地には丹下寺跡や古石塔も残っている。

名工として知られた丹下氏の鐘は、太平洋戦争による梵鐘供出なども影響し、世羅町周辺で確認された江戸時代の梵鐘はわずかに8鐘である。現存する丹下氏が作った梵鐘の最古のものは、今高野山龍華寺の寛文7年(1667)のもので、鐘は世羅町指定重要文化財に指定されている。丹下氏関係遺品の中には、鋳造用具の他、中世文書や近世文書も一部含まれており貴重である。