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歴史と文化

更新日:2021年1月18日更新 印刷ページ表示

守り伝えたいふるさとの歴史と文化

太古の昔、ナウマン象が生きていた痕跡も残る、
悠久のロマン漂う町、世羅町。
縄文、弥生、古墳時代の出土品、遺跡も数多く、
鎌倉時代には高野山領大田庄として栄えていました。
幾年もの時を刻んだ、数多くの町の財産をこれからも永遠に守り伝えていきたい。 

今高野山総門(県重文)

今高野山総門(県重文)の画像 
この総門は今高野山一山(7堂12院)の総門で、室町時代の建築様式を残す四脚門、切妻造りの門です。門の左右には、仁王像(町重文)を安置しています。
木造聖観音立像(国重文) の画像

木造聖観音立像(国重文) 
 像の高さは1.36mで、ヒノキ材の寄木造りです。衣文の彫りが浅く繊細で、平安後期の特徴をもっています。下身の裳上に巻布をつけた姿は珍しい特徴です。
(報恩寺)

木造十一面観音立像(国重文) の画像

木造十一面観音立像(国重文)
 像の高さは1.47mで、カヤ材の一木造りです。天衣や裳(しょう)に残る施転文や飜波(ほんぱ)式衣文が平安初期の特徴を表しており、県内でも数少ない貞観彫刻です。
(報恩寺)
 木造十一面観音立像二体(国重文) の画像1 木造十一面観音立像二体(国重文) の画像2

木造十一面観音立像二体(国重文) 
 左の像は高さ1.8mで、センダン材の一木造りです。修理の際に、背ぐり部分から麻布と和紙に包んだ延喜通宝が発見されました。右の像は高さ1.7mで、ケヤキ材の一木造りです。どちらの像も藤原時代初期の秀作です。年に一度、毎年8月20日に開帳され、拝観することができます。(龍華寺)

廃万福寺塔婆(県重文)の画像

廃万福寺塔婆(県重文)
   高さ4.19mの七重の層塔です。基礎の正面には銘文(7行43文字)が、塔身には四面に金剛界四仏を表す種子が陰刻してあります。銘文の年号は應安3年(1370年)となっており、これは南北朝時代の北朝で使用されていたものです。県史跡の万福寺跡の関連遺構とされています。

木造獅子頭(国重文)の画像

木造獅子頭(国重文)

 今高野山の鎮守だった丹生(たんじょう)神社に伝わるものです。右の面のあご裏に「正安3年(1301年)」の銘が入っています。左の面はやや時代は下りますが、いずれも黒漆塗りに金泥や朱による彩色が施されています。

稲生神社 本殿(県重文)の画像

稲生神社 本殿(県重文)
 典型的な芸備造り三間社です。菊や牡丹の透かし彫や竹に虎の浮彫を各所に施すなど、装飾性の高い建築となっています。屋根が銅板ぶきになっているほかは、江戸時代初期の建築様式をとどめています。

康徳寺古墳 石室(県史跡)の画像

康徳寺古墳 石室(県史跡) 
 築造は推定6世紀後半で、県内有数の石室規模です。横穴式石室をもち、天井石を一段下げ立柱石を立てて片袖にすることで玄室と羨道(せんどう)を区別します。発掘調査時には、須恵器のほか、中世の泥塔などが大量に出土し、注目を集めました。

稲生神社の神殿入(こうどなり)(県無形民俗文化財)の画像

稲生神社の神殿入(こうどなり)(県無形民俗文化財)
 毎年10月上旬の夜に行われ、上津田の7地区からさまざまな御神灯を連ね、行列をつくって稲生神社へと向かう伝統の祭りです。神殿入につづき、奉納神楽、御幸が行われ、「稲生旧記」(1934年)の記述通りに現在も祭が継承されています。

宇山祭祀遺跡出土遺物(町重文)

宇山祭祀遺跡出土遺物(町重文)
 この遺跡は峠の神を祭った跡とされ、手づくね、天日干しの土製模造品が大量に出土しました。その種類も玉や動物形、舟形など多種にわたり、出土数の多さも合わせて祭祀遺跡の8遺跡に数えられています。